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シンプル・ライフ

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「ロード・オブ・ザ・リング」

「変態童貞物語」 ~「ロード・オブ・ザ・リング」

 さて、今まで書こう書こうと思って書いていなかった、「指輪三部作」のレビューだ。
 言いたい事は山ほどあったが、あえて書いてなかったのは、うまくまとめられそうに無いからと、集中して第三部を観てないからだ。(仕事の片手間に流していた)
 ぼくはトールキンのファンで、原作には色々と思い入れがあるんだけど、この際それはおいておく。なぜなら、ぼくは監督のピーター・ジャクソンと同じ意見だからだ。
 そう、映画と小説は、まったく関係無い。
 どんな事情があったのか、政治的取り引きがあったのか分からない。でも、とにかくぼくらのピージャク監督は、メディアミックスの旨味を覚えちゃって、「ちょうどいいや、ドサクサ紛れに好きなように撮っちゃえ」ってなことになったんだろうと思う。
 ぼくが思うにそれはきっと、「乙女の祈り」を撮った時辺りじゃないかな。「おい、レズビアンの猟奇犯罪小説を面白半分に映画化したら、どっかの馬鹿が芸術だとか言い出してるぞ」ってな感じ。
 そもそも、デビューして以来、一貫してピージャクさんのテーマは変わらない。「変態」と「馬鹿」だ。
 スプラッタ・ブームの80年代に、ビデオ屋で一際目立ったデビュー作「バッド・テイスト」は、一目見て「他のとなんか違う」感じだった。
 ゾンビや悪魔が並んでいるコーナーに、ギャングのコスプレをした宇宙人が中指を立ててるパッケージ。これどうやって怖がれってんだ? 「どさくさ紛れ」これもまた、ピージャクさんのお家芸だった。
 正統派イタリアン・スプラッタにまぎれた「ブレイン・デッド」は、もう、間違いなくピージャクさんの最高傑作だった。ヨーロッパ各地で上映禁止になったという宣伝文句(下らないからだよ)、パッケージに描かれた、赤ん坊の死体を抱いて椅子にバラ線でくくりつけられた看護婦のイラスト(問題・なぜ実写じゃない?)、「ママ、殺したいほど、愛してる」という病気っぽいコピー。全てが怖かった。
 見終わると三百六十度意見が変わった。違う意味で怖かった。パッケージから想像されるのとは、まったく違う映画だった。特に、美人ナースのくだり!(答え・出てこない)
 内容を一言で言うと「ゾンビコント」だった。ありとあらゆるマヌケなシチュエーションにゾンビを無理繰りに設置して、「そのギャグやりたいだけやん!」なシーンを、時間いっぱい繰り広げてる。
 怖くない事、怖くない事。だってこのゾンビたち、弱いんだもん。カンフー、ペット、プレスリー、合体巨大化という、多分ピージャクさんが当時好きだったのであろう要素が、思いつくままに散りばめられている。
 とりあえずゾンビさえ出てればいい、という条件の元、ほんと好き勝手やってるのだ。ぼくらはそろって手を叩いた物だ。「いいぞ、ピージャクさん最高! もっとやれ!!」
 そのピージャク師匠が指輪を撮ると聞いて、よもやまともな物が出来る訳は無いと思った。まさにその通り。映画版指輪は、見事なまでのドサクサ映画だった。
 北斗の拳のような分かりやすい演出、矛盾だらけの時間運び、チョークスリーパー、EXゲーム、ほんと見所満載にも程があった。
 笑った笑った。久しぶりに大笑いした。ガンダルフ一行が、蛇の舌と対決するくだりなんてのは、水戸黄門のようだった。完全武装の敵の本拠地に丸腰で乗り込んで、アッパーカットで全滅だ!! すげーぜアニキ! まるでヤンキーマンガだ!
 どう考えても、一人で千人分くらいは戦えそうに強い味方キャラクターは、三国無双みたいだった。一体どうすりゃあいつら死ぬんだ? ってな危機感の無さだ。
 その中でも、ピージャクさんはまた紛れていた。アクションパートでスペクタクル(とバカ)を標榜した裏で、主人公たち指輪チームに、見事な変態性を背負わせている。
 世界を滅ぼす指輪を捨てなきゃいけない主人公、フロドは、当然小人さん。どうやらこれをピージャクは、少年性と設定したらしい。
 フロドの相棒は、ぽっちゃり巻き毛のサム。この2人に、かつては清純な小人さんであったサイコ野郎、ゴラム(原作名、ゴクリ)が入る。
 サムはひたすらフロドに、ホモホモな愛を注ぐ。おかわいそうなフロド様と抱きしめ、なでさすり、ほっぺを紅潮させてウットリする。
 かたやフロドは、大人の男アラゴルンに助けられて、うっとりした目で数秒立ちすくんだりする。
 2人だけなら愛の逃避行にもなったんだろうけど、ここからがどさくさ紛れの変態ラブ・ストーリーだ。ゴクリが旅に参加するや、フロドはそっちばっかり可愛がる。そしてサムは嫉妬してゴクリをいびる。
 指輪の魔力で透明になり、引きこもりがちになっていくフロド。同じ引きこもり仲間のゴクリとの間にはシンパシー! サムの愛は、果たしてフロドを救えるのか!
 どんなにつれなくされても、サムは決してフロドを責めない。それどころか、フロドが追い詰められて性格悪くなるほど、「おかわいそうに」と。その真っ赤なホッペには、まさに母性が浮き上がっているではないか! こりゃダメ男とヨレヨレ女そのまんまだ!
 すげーぜピージャクさん! 小人で引きこもりでサイコでホモの三角関係! 
間男のゴクリは、指輪に魅入られたために自分で自分を愛する病に取り憑かれている。、かのリングには、どこか自慰的なメタファが感じられるのだ。


 つまり、自慰の快楽VS他者の愛(ただしホモ)という戦いが繰り広げられてるのだ。
 ピージャクさんはオタクだ。その上、デブでブサイクで変態だ。そんなピージャクさんの中坊時代は、さぞフロドその物だったであろうと思われる。
 背が高くて逞しい連中、スタイルのいいハンサム連中、自分で自分を笑える明るいデブッチョ、そんな奴等に囲まれながらも、陰気で引きこもりで自慰に耽ってしまうピージャクさん。だってモテないんだもん!!
 おまけに後ろからは意味不明な黒い不安(顔の無い、とっくに死んだ大人)が追いかけてくるし、えらい誰かは常に監視してる。大人たちは自分に責任と役割を押し付ける。こうなったらもう、自分の中の自慰性は火山の中にでも捨てるしかない。
 これは、少年のイニシエーションの物語なのだ。
 自分が自分である事によって追い詰められた少年には、究極の選択が突きつけられる。自分の中の自慰性を捨てて社会性を得るか、あるいは自慰性に生きるか。
 後者を選んだ場合の、一つの形としてゴクリがいる。ひきこもりのサイコ野郎だ。
 ピージャクさんは、見事に自分の指輪を使って才能を発揮し、アカデミー賞を取った。じゃあフロドは?
 フロドは結局、指輪を捨てる。形式上は。だが、彼の心には、指輪の影が終生消えなかったという。生涯独身だ。
 一方のサムの方は、大冒険の果ての成長の証に、酒場女を口説く勇気を得るという作りになっている。そう、ホモからの卒業だ。彼もまた、自分の指輪を捨てたのだ。
 フロドがなんの仕事をしてるか分からない。ただ、どうやら家で一人で物語を書いて暮らしていたようだ。
 結局、どうもこの世の中に居場所がねえな、ってなことになって、彼岸の方に旅立って行ってしまう。
 ピージャクさんの律儀さに、ぼくは感動した。
 彼は、自分が大監督に(どさくさ紛れに)なっても、決して不遇だった童貞時代、そして同じような心を持つ世界中の仲間を忘れないのだ。
 世の中には、有象無象のオタども、引きこもりども、サイコ野郎どもがいる。ピージャク監督は彼らを救おうとしたのだ、この三部作で。
 社会性を得て王になれとか、大人になれなんて事は言わない。彼のメッセージは、「おかわいそうに」という愛だ。
 この世の中は、訳のわからない悪意と押し付けに満ちた恐怖のワンダーランドだ。人はあまりにも簡単に、ゴクリのようなモンスターになるだろう。
 自分と折り合いの付かない、ねじくれて狂った一人芝居の世界にこもったゴクリは、指輪三部作に置いて見事に中核に存在している。(ゴクリ・オン・ザ・ステージ!!)
 それこそが、ピージャクさんの、心からの贈り物だったんではないだろうか? どさくさ紛れの。


 PS・ただ、サイコというのは自覚が弱い上にそれを認めないからサイコなので、ピージャクさんのメッセージは多分どこにも届いてねーと思うのだ。

 PS2・そしてその手のサイコ連中は、逆に過剰なほど社会に適応している態で溶け込むのだ。指輪で姿を消したかのように。あなたの周りも、気がつけば顔の無い大人と、ゴクリばかりかもしれないぞ。

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